朝日カルチャーセンター 30周年記念講座
『脱線者』が贈る 今生きるためのメッセージ
〜織田裕二 自らを語る〜
2008年 2月 28日 (木)
生織田さんの前に(笑) 天気予報では、仙台は爆弾低気圧の影響で前日から当日にかけて 雪、または暴風の恐れありとのこと。 つい先日も、それで交通機関が一時ストップしていろいろ大変だったので、 万が一の時は新幹線で、もしくは大阪行き自体を諦めなきゃならないかも…(T_T) と心配していたのですが… 当日の朝、家の周りはモロモロの雪。<山の方なのでσ(^^;; けど仙台空港は降ってなくて、定刻どおりのAM8:00、織田晴れの大阪へと飛び立ちました。 AM9:25に大阪伊丹空港へ着くと、そこから一路、 講演会会場でもホテルでもなく、淡路東宝へ(爆) そう、ここでは『椿三十郎』をまだ上映中なのでーす!(^▽^) 大阪行きが決まった時から、時間が合えば観られないかな?とチェックしていたのですが、 運良く、午前中の回なら観てからでも講演会に間に合いそう♪ というわけで、現地でお会いした織田友さんたちと一緒に、 10:50〜12:55の回の上映を鑑賞したのでした。 <…21回目(爆) |
今どきのシネコンではなく、 昔懐かしいレトロな映画館。 |
ちなみに、お客さんは我々を含めて女性4人。 (途中でおじさまが入ってきましたが) 講演会当日だし、も少し織田ファンがいるかな〜と思ってたんだけど…(^^;; 何故か今週は特別料金ということで、1,000円で観られました(笑) メインイベント会場へ 椿様を観終わり、いよいよ本日のメインイベント、講演会会場のリサイタルホールへ! …の前に、道路を挟んで向かい側にある朝日新聞社へ、 『朝日カルチャーセンター』のフリー冊子をもらいに(笑) |
中のページには、今日の講演会の告知が。
そして今度こそ、リサイタルホールへと足を向ける。 もうすでに開場時間の13:30をまわっていたので、会場内へと入る列に並んで、 トイレに入る長蛇の列にも並んで(爆)、ホールの中へ。 |
入り口でもらった袋の中には、ホールのチラシやFCの入会案内、
そして『脱線者』第3版。
客席は、3列目ぐらいからぐぐーっと急な勾配になっていて、 後ろの方でもステージにすごく近く感じます(^^) 私の席は、前から4列目の中央やや右寄り。 同伴の織田友さんと、ここで合流。 ステージ中央のスクリーンには、今日の講演会のタイトルが映し出され、 向かって左手の方(下手側)には、『脱線者』のパネル、 ペットボトルの水が2本置かれたテーブルと、椅子が2つセッティングされている。 これからここに現れる織田さんを期待して、ワクワクしながら開演を待つ私たち。 織田さん登場♪ 開演予定時刻の14:00ちょうど。 司会の女性が左端のスタンドマイクのところでご挨拶をし、早速お呼びしましょう!と 特に前置きもなく、織田さんたちの登場!! きゃ〜〜〜〜〜♪と拍手喝采の中、 ステージに現れた織田さん!!!(゚∀゚) …と岩田編集長(笑) 黒のVネックのインナーに、黒のジャンパージャケット。 下はブルージーンズに、黒のハイカットの革靴。(ショートブーツかな?) 髪はちょっと長め。パーマっ気がだいぶとれた黒髪で、ナチュラルに流している♪ 満開の笑顔でステージ中央に立たれた姿は、スラーッとして顔ちっちゃくて、 先日の『徹子の部屋』の、ちょっとふっくらほんわか織田さんとは また違ったシャープさがにじみ出ておりました(*^^*) (※以下、かなり端折ってる&言い回し等違うと思われますが、ご了承くださいm(_ _)m) 織田 「こんにちは、織田裕二です。」 のご挨拶。 岩田編集長は、「東京(の講演会)でも見た顔がいますねぇ…」と会場を見渡す。 え。顔、覚えてるの?(^^;; 私じゃありませんように(爆) 『脱線者』が、おかげさまで9万部を突破。 もう少しで10万部のベストセラーだという話。 織田 「大丈夫です。明日には皆さん、200冊ずつ買ってくれますから(笑)」 いや…確かに複数冊持ってますが、いくらなんでもそこまでは(爆) “自殺”発言についてと、命の大切さ その後、用意された椅子へと着くお二人。 今日はスライド写真を見ながら、それについて語っていくという趣向のようです。 まず最初に映し出されたのは、チーターがこちらに向かって威嚇している写真。 被写体がだいぶ近いんですが…これ、織田さんが撮ったそうです(◎o◎) なんでも、車の中から撮った物で、近くに4匹の子供がいて、 それを守ろうとするお母さんチーター。母は強しです。 …と、これを撮った状況を織田さんが熱心に解説していると、 岩田 「ま、そーいう話はいーんですけども。」 と、岩田編集長が今日もお得意のぶった切りで進行(爆) じゃあ、なんのためにこの写真を映したんじゃーい!(^^;; 次に、本の内容へ。 “自殺したいと思った”というフレーズが随分マスコミで取り扱われたけれど、 (いや、それより恋愛話の方が扱い大きかった気がする…/爆) 別にケガしたぐらいで自殺しようと思ったわけではない、と。 織田 「どこかで、小中学生にアンケートをとったら60%が “死んでも生まれ変われる”って信じてるという結果だったというのを聞いて…」 岩田 「長崎では、15%だったそうですね。」 織田 「それでも、100人中15人はそう信じてるってことですよね。 そんなふうに、人の命も自分の命も軽んじられたら、うわっ…と思って。 死ぬって、そんなキレイなもんじゃない。 今は生き物もペットショップで買ってきちゃうけど、 こっから1時間ぐらい車走らせれば、山でカブトムシとか捕れると思うんで…」 岩田 「そういや織田さん、ついこの前までカブトムシを?(笑)」 織田 「え〜〜〜カブトムシはぁ〜〜…今はやってませんが、 …前に、やってました(^^;;ゞ」 子供の頃の未公開写真♪ 次に映し出された写真は、かわいい赤ちゃんの頃の写真! (※以下、詳細は再現できませんが、写真の様子をイラストで。記憶違いがあったらスミマセン(^^;;) |
何かおもちゃをいじってるのね♪
後ろにはお母様が。
奥の方にボンヤリ映っている人影を見て、 岩田 「これは、お母さんですか? 美人ですねぇ。」 <って、ボヤけてわからんですよー!(爆) 織田 「(笑)はい! 料理も美味しいです!」 すぐさまお母様を褒める織田さん。 親孝行な息子だわ〜(*^^*) 次は、またもや赤ちゃん裕二くん♪ |
ボールで遊んでます(笑)
織田
「コンサートでも言ったんですけど、小さい頃は赤が好きで…(笑) 後ろのTVがまた古いですね〜。 親父がそういう関係に勤めてたんですけど。」 次は、ちょっとだけ成長した裕二くん。 |
後ろには車が映ってます。
(いー加減な絵でスミマセン(^^;;)
織田
「これ、後ろに映ってるのは、うちの車です。」 家の前かなんかで撮ったのかな? 次は、5歳ぐらいの幼稚園児の裕二くん。 |
目が!口元が!!
もうすでに、“織田裕二”の片鱗が見えます(爆)
織田 「これはめずらしく、カメラ目線ですね。 写真撮られるのが大嫌いで…あ〜今日持ってくればよかったなぁ。 幼稚園の集合写真があるんですけど、一人だけそっぽ向いてるんです(笑)」 というわけで、この写真はお気に入りらしく、 しばらくこの写真をバックに中学・高校時代の話へ。 突っ張ってた高校時代 小学校の時は野球をやってたけれど、中学に入って、個人競技であるテニスを始めた。 色気づいたのもあるんでしょうね(笑)と。 そして、それから何故自殺したいと思うに至ったのか? 織田 「テニスができなくなったからじゃなく、(理由は)人間関係なんですよ。 突っ張ってたんですね。」 岩田 「今も突っ張ってるじゃないですか。」 織田 「(笑)当時は、ホント突っ張ってたんですよ。目だけでしゃべってましたから。 陰湿なケンカもありました。」 と、当時のその“陰湿なケンカ”について語る織田さん。 自分の下駄箱の中に火のついた紙を入れられて、靴のかかとのところが焼けてしまった。 それで織田さんは、その犯人を呼び出し、お前やっただろ?と問い詰めながら 目の前でそいつのTシャツ(ユニフォーム?)に火をつけて、燃やしてやったと。 “3倍返しの織田”エピソード(爆) ひ〜〜インシツだ〜〜〜(^◇^;) ※追記:このエピソードは、1996年『JUNON』2月号や、非公式本(笑)の『素顔の軌跡』にも載っているそうです。(訂正済み) テニスをやめてから、そんな感じで過ごしていた高校時代。 そのうち仲間もいなくなって、孤独感を感じたという。 家族にも反抗していた時期で、親父と2年ぐらい口をきかなかったり、 お袋も、食事とか作ってもらって当たり前で、家政婦さんのように見ていた、と。 織田 「突っ張ってたから、親にも下手に弱み見せられないんですよね。 イヤになっちゃった。 もうやめちゃおうかな、スイッチOFFにしようかな…って。 半年ぐらい、すごく寂しかったです。」 それから、自由が丘あたりで遊ぶようになったと。 もう時効ですよねと、いろいろ“やんちゃ”ぶりを披露(笑) 織田 「時効といえば、最近の三浦容疑者のニュースとか… 殺人に時効があるって、おかしいですよね?」 と脱線する織田さん(爆) うんうん、私もそう思ってたよ! 自由が丘には、制服でもタバコや酒飲ませてくれる店があって、いつもそこに行っていた。 自分の学校が出ている高校野球も、そこでタバコ吸いながら見ていた、と(笑) パチンコ屋で拾った玉で当たり出して、雀荘行って増やして、 その金で酒を飲む、という、なんともバクチな日々を過ごす高校生(爆) 岩田 「すごいね。 博才があるんじゃないですか?」 織田 「暇なんですよ、学生って。」 <え。そう?(^^;; 岩田 「その頃の仲間とは、今も付き合ってるんでしょ?」 織田 「付き合ってますね。 年上の人、年下の人、女の人… (年齢が様々だから)いろんな価値観ができてきますよね。」 ここで織田さんは、損得勘定のない人間関係を築き上げることができたんですね(^-^) 芸能界へのデビュー 岩田 「芸能界に入るきっかけは?」 織田 「大学へ行くというレールに乗っかって一生を終わるのが、イヤだなと。 消去法で。 浪人もイヤだし(笑)」 ここで、デビュー当時のモノクロ写真が。 |
ツッパリイメージが可愛い(笑)
織田 「これは、センザイですね。」 岩田 「センザイ?」 織田 「宣伝材料です。」(へー業界用語かぁ。<宣材) 次に、もっと晃っぽい写真。 |
襟をたてて、正面を見据える晃♪
岩田 「オーディションの時、ど突き合いをやったとか?
漫才じゃないよね?」 織田 「(岩田さんのボケをスルーして/笑)7万人ぐらいいたんですけど…」 と、オーディションの時、ちょっと役者経験のあったらしい相手にど突かれて、 ど突き返したという話。 学生時代のポリシー“3倍返し”が炸裂(笑) 織田 「台本にも書いてないのに、お前何してんねん!ってなるわけですよ。」 この関西弁に、地元関西のお客さんは歓喜の拍手♪ ※ところで、オーディションの話で必ず出てくるこの、織田さんをど突いた相手ですが、 (たぶん)遠藤憲一さんなのだそうです。<エンケンさん好きの織田友さん談 言わば、エンケンさんのど突きのおかげで、織田さんはデビューできた?(^^;; 追記:『湘南爆走族』DVD特典映像の「オレッちの青春グラフィティー」に、 そのオーディション風景の一部が収録されてますので、よかったら各自ご確認を。 芸能界に入ってから 岩田 「20年間も、よく脱線しないでここまで来ましたね。」 と、ここから20年間の芸能生活の振り返り話へ。 映し出されたのは、逆風コンサートの時の写真。 |
襟をたて、胸をはだけ、シャツはイン!(笑)
順風満帆と言われてたけど、そんなことはなかった。 当時のドラマは、100%女性主役だった。 何故なら、TVは女性が見るから。 でも昔は、女性主役じゃない番組もあったじゃないかと (たぶん当時のプロデューサーとか?に)言ったら、 織田 「『探偵物語』とか『ルパン三世』第一部とか、 実は当時の視聴率は一桁台だったそうなんですよ。 商売にはならないって言われて。 え?(そういう番組に)影響受けたんですけど…ってσ(^^;;」 そんなわけで、ヒットはしたけれど最後は納得のいかなかった『東ラブ』の話。 けどそういう風潮を「変えてやる!」という反骨精神もあったと。(拍手) 『東ラブ』などのような王子様な役については、 織田 「いつか『プリティウーマン』の彼みたいな役をやってもいいですけどね。 1回だけ。 そんな得意じゃないんで(笑)」 織田さん、大人な恋愛ドラマを希望する声も、結構あるんですよ〜(笑) 反骨精神という話からだったか、“日能研”という言葉が出てきました。 なんでも、関東圏では有名な進学塾なんだとか。 みんなお揃いのカバンを持っていて、そういうのっておかしくないのか? ただ単に金儲けしたいだけの、社会の仕組みも見えてしまった、と。 次は『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』の写真。 |
有名なワンシーン♪
これも結果的にはヒットしたけど、実は当時は王道ではなかった。 フジの外人部隊と言われるスタッフたちと、実験枠で作った作品だった。 実験枠とは、水9の『振り奴』、火9の『踊る』など。 岩田 「チームっていうか、共犯者が出来てきたんだ?」 織田 「本気で戦ったから、出来たんですよね。」 ちなみに、こういう枠の現場は、ロケ弁も安いんだとか(爆)<月9は高いんだそうな(笑) そういうところにも格差があるのね〜ギョーカイって(^^;; そこから、どういう話の流れだったか、岩田さんが 女性週刊誌でのバッシングについてちょこっと話を振ったのですが、 織田 「あれもね〜…くっだらないことに巻き込まれましたけどね。」 と、めずらしくあの時の件について触れるかな?と思ったら、 岩田 「じゃあ次、寒いのいきましょう。」 と次の写真が映し出され、またもや岩田編集長、ぶった切り進行(爆) でも、こうして「くだらない」とサラッと流せるぐらいにまで、癒えたんでしょうかね(^^) 『ホワイトアウト』の1シーン。 |
寒そうな富樫(^^;;
ここで、 織田 「実は明日、マイナス30℃のとこに行くんですよね…。」 と、口を滑らせた織田さん。 え?どこ〜〜?というザワザワする客席からの問いかけに、 織田 「北海道…あ、余計なこと言っちゃった。 行きません!(笑)」 いや、もう遅いっす(笑) まぁそんな追っかけとかするつもりもありませんが、世の中いろんな人がいますから(^^;; ○○霊とか(爆) 岩田 「これ(写真を見て)、叫んでるんですか?」 織田 「叫んでる…んでしたかねぇ? 吉岡ー!かな?」 いえ、これは吉岡を残して助けを呼びに行く途中に、 ホワイトアウトに巻き込まれているシーンですよ〜! と、会場のファンはそれぞれ突っ込んだはず(爆) ファンの方が詳しいからね(笑) 織田 「なんでグリーンのコート着てるかっていうと、『踊る』からの続きなんです。 自然に(富樫の赤に)チェンジするようにしたんですね。 この吹雪も、プロペラ回して起こしてるんですよ。」 岩田 「ホカロンとかいっぱい巻いて?」 織田 「いや、できないんですよ。 やっぱりリアリティを考えると…」 役者さんも大変だよねぇ。 大変といえば、 岩田 「今日は(鼻)グジュグジュで。 花粉症?」 織田 「スイマセン(笑)」 時々鼻をすすってるな〜と思ってたけど、やっぱりこの季節は大変なのね(^^;; そんな話をしていたら、 岩田 「何の話だっけ?」 と、ここでまたもや激しく脱線していることに気付く岩田さんと織田さん。 「台本通りにいってないよね」と、二人して、 テーブルに広げられた台本を覗き込んで、頭をつき合わせている姿が可笑しい(爆) 岩田 「人生もリセットだって話じゃなかったっけ?」 って、この話のどっからそーいう流れに持っていこうとしてたのか??(゜_゜;) いかりやさんとの想い出 次に映し出されたのは、踊るプレゼンツSPライブの1シーン。 |
ゲストで来てくれたいかりやさんと、織田さんとの2ショット♪
織田 「これは、どこでやったかわかります?」 「大阪城ホールーーー!!!」と口々に叫ぶお客さん。 織田 「記憶力いいですね〜! その記憶力が、僕にもあれば(笑)」 そりゃ、地元ですからねぇ。 行かれた方もいっぱいいるのでしょう♪ この本に書かれた、いかりやさんのエピソードについて。 織田 「(いかりやさんのギャグ)『ダメだこりゃ』を入れて欲しいって言われたんですね。 でもそれじゃ、コメディじゃなく、パロディになっちゃう。 僕は最初からこの作品は映画化したいと思ってたから、それじゃダメだと思った。 パロディを映画化なんて、映画なめてると思われるし。 何より、いかりやさんがイヤそうな顔をしてたんですよ。 でも優しいから、たぶん、やっちゃうんですよね。 で、ガッカリすると思うんですよ。 欲しいのは所詮“いかりや長介”なのかと。 せっかく役者として芝居をやろうと思って現場に来てるのに、 そのエネルギーがしぼんじゃうと思った。」 その一件があって、いかりやさんは自分の演技を“織田流”と言うぐらい、 織田さんのことを役者として尊敬するようになったんですね(^^) そんないかりやさん。 現場では話が長いので有名だったそうで(笑) 朝、現場に入ると、そこらへんにいる人つかまえて15分は喋っていたそうです。 織田 「僕が止めないと止まらない。 『いかりやさん、ハイ! じゃあ、和久さんで』って切らないと(笑)」 岩田 「織田さんは、いかりやさんから何を学んだんですか?」 織田 「何を学んだんでしょうね…。 ・・・・今この場では、言葉にできないですけど・・・・・ あのキツイ撮影に、よく参加してくれたなぁと・・・・・・」 それまで流暢にしゃべっていた織田さんが、 岩田さんのこの質問には言葉をつまらせてました。 いかりやさんとの想い出が蘇ってきたのでしょうか。 当時の情景を思い出すかのように、ゆっくりと…。 会場もシーンとして、織田さんの表情に見入っていました。 涙ぐんでるのかな?とさえ思えるほどの、ちょっと淋しそうなお顔でした(;_;) 岩田 「なんか、しんみりしますね。」 織田 「まぁ…死んじゃったからしょうがないけど!(笑)」 と、急に無理して明るく振舞う織田さん。 織田 「(いかりやさんから学んだことを)無駄にしないようにしないとね。」 これからの“織田裕二” 岩田 「40歳になって、一区切りですか?」 織田 「こっからの10年が大事かな?と思ってます。」 ここでたぶん、これから結婚とか子供とか…と振った流れだったと思いますが、 以前岩田さんが「織田さんは、子供ができたら4〜5歳まではアフリカで育てたい」 と言ってた話は間違いだそうです。子供のいる人は、小学校ぐらいになったら 一度アフリカに連れていってあげて欲しい、という話でした(笑) 織田 「費用が高いかもしれませんけど。 でも探せば(キーボード打つマネ)いろいろありますんで。 高いのは日本の航空会社だけだよね(笑)」 織田さん、そういう格安ツアーも、検索して調べてたりするんだ?(^^;; 岩田 「次は何をやりたいですか?」 織田 「先のために、今辛いことを我慢するタイプじゃないんで。 辛いことも、スイッチ一つで切り替えられる。 例えば今日も、隣りに座った全く知らない人が、 もしかしたら将来親友になるかもしれないですよ。 今を大事にしたいですね。」 今、この時を大事に過ごしたい、という織田さんのメッセージで、 講演会は「あと1分」になり、じゃあ最後に…とお二人ともステージ中央の方へ。 台本上はもっと話したいことがあったみたいで、 織田 「お墓の話は(しなくても)いいんですよね?」 と言いつつも、死んだらお墓の下には入りたくない。 自然に戻して、子供や孫に「おじいちゃんはここにいるんだよ」と楽しい気分で訪れて欲しい。 そうすれば、そこを汚そうだなんて思わないだろうから、と、 東京の対談でも語っていたお墓論(笑)を、時間がないながらも5分ぐらい語ってくれました♪ けどキッチリ進行したい岩田さんに 岩田 「いかりやさんじゃないですけど、はい!このへんで」 と切られ(爆)、「今日はありがとうございました!」とお礼を言って、退場。 バイバイと一度手を振って、去っていかれました(^^)/ 耐久オフ会?(爆) 予定の14:00より5分押しぐらいで終了した講演会。 その後、予め座席をお伝えしてあった織田友さんと初めてのご挨拶をしたり、 ステージの写真を撮ったり(会場スタッフさんもいらしたので、公認かと)、 なんだかんだやってるうちに、いつの間にか最後までホールに残ってしまって真下(爆) (それでも、コンサート会場のように急いで追い出されはしなかったけど(^^;;) |
ついさっきまで織田さんのいたステージ。
織田さんは向かって右側の椅子に座ってました。
久しぶりの方やお初の方など約10人で、まず近くの喫茶店でお茶会。 その後、洋食屋さん(スープ専門店)でお食事。 そして3次会はカラオケBOXへ。 予定があって途中で帰られる方もおりましたが、 結局合計7時間ほどの濃い〜〜〜オフ会となりました(笑) 特にカラオケオフは、3時間ぶっ続けオール織田歌(爆) 35曲の織田歌を上から順に全部入れていき、歌える人、歌いたい人がマイクをとるという(^^;; けど、マイクを持ってなくても、結局画面を見ながらみんな歌ってんだよねぇ(笑) ライブばりに振り付きになる曲もあったし。 いや〜織田バカにしかできない、楽しい織田カラでございました♪ お付き合いくださった皆様、どうもお世話になりました! おかげさまで、本当に楽しい大阪旅行でした。 おおきに(*^^*) 私はその後、大阪市内のビジネスホテルに一泊し、翌日午前中の便で仙台へ。 「あ、スポーツ紙チェックするの忘れた」と思ったのは、飛行機に乗ってからでした(爆) |